近年、地震観測データ、とりわけ、強震データを公開している機関が多い 1)。K-netで有名な防災科学技術研究所、(財)日本気象協会などは別として、(財)震災予防協会、(社)日本建築学会、関西地震観測研究協議会、10電力共通研究などは民間の寄与も大きい。強震データの中身としては、自由地盤表面が多く、耐震工学や地震防災の面から地盤での地震波の増幅が重要であるとの認識が高まったことを反映していわゆる鉛直アレー地震観測のデータも増えてきた。しかし、建物の観測データについては、兵庫県南部地震について日本建築学会が収集・公開した研究用データベース以外には無いようである。
このように、地盤の観測データには公的機関でない民間のデータも多く含まれているが、民間建物の観測データは、観測費用が民間持ちであることもさることながら、データ自身が個々の建物に固有のものであることから、公開されることはほとんどない。このような背景から、建物の強震観測が民間によってなされていることは、世の中にあまり知られていない。
本小文では、主として民間での強震観測の現状を紹介し、その問題点についても触れたい。
日本における強震観測については、田中 2)、工藤 3)に詳しい。これらによると、1951年5月に設置された「強震計試作試験研究会」がSMAC型強震計の開発に成功し、1号機による観測を東大地震研究所地下2階観測室で開始したのは、1953年7月29日である。当初11年間の強震計設置台数は85台と報告されている。観測対象はタワー、橋梁、ダム、港湾なども見られるが、建物が大半を占めていた。このように、強震観測の黎明期には、構造物が強震時にどのような挙動をするかの解明に観測の重点が置かれ、複数の強震計によるアレー観測も当然のように行われていた。
図1 岩盤におけるアレー強震観測(電力共通研究)
図2 東京湾ウォーターフロントにおける地震観測網
図3 地震情報の直前検知・伝達システム
民間での地震観測としては、電力会社、ガス会社、JRなどの保安用等の地震観測を除くと、建設会社が中心となって強震観測を行っている場合が多い。高層評定の審査に使用される設計用入力地震動評価や地盤振動特性研究のための地盤での強震観測、構造安全性や解析妥当性の検証、あるいは研究目的のための自社ビル・研究所等の建物での強震観測がなされている。これ以外の一般建物の強震観測も行われているが、その実体はあまり知られていないようである。そこで、以下、鹿島での強震観測を例に民間での強震観測について紹介する。
鹿島での強震観測は、1964年から地盤-建屋連成系の観測を実施したのが、記録の残っている最古の例で、地中およびRC試験体について、加速度の他に土圧も観測している。また、地震応答解析に地盤構造や地盤定数が必要なためボーリング調査や地表弾性波探査を行い、更に、起振機による強制加振振動試験も行っている。この研究は科技庁から日本建築学会への委託研究「原子炉施設の地震時における振動特性に関する試験研究」の一部として実施したものである。この後、地盤、地盤―建物連成系について多くの観測を実施している。実際の建物については、1968年に超高層のあけぼのとして著名な霞が関ビルでのSMAC型強震計5台による観測を始めた。当時は、日本建築センターの高層評定の審査対象物件については強震計の設置が義務付けられており、多くの超高層ビルで5台程度が設置された。霞が関ビルなど多くの建物でこれらの観測は現在も継続している。その後、原則として強震計の設置義務はなくなったが、現在も特記仕様書により設置する場合がある。免震・制震建物においても多くの観測を実施している。観測当初から30数年を数えすでに観測を終了させたものもあるが、現在、約80地点(地震計台数300以上)での観測を行っている。以下、地点数で見ると、観測対象は、建物または地盤がそれぞれ約40%、地盤-建物連成系、土木構造物が約20%である。また、業務別では、自社研究が約50%、残りが受託研究および共同研究による観測である。これまでの代表的な地震観測の例を以下に示す。
1)電力共通研究による岩盤での広域アレー強震観測 4)および地震基盤から表層地盤に至るアレー強震観測 5)[受託研究]:関東・東北の岩盤12地点での観測を1978年から継続して実施中。岩盤における平均的な地震動特性をまとめた。(図1)
2)東京湾沿岸ウオーターフロント地震観測網 6)[自社研究]:鹿島で提案した軟弱地盤における高層ビルの新しい動的設計法を検証するための観測を実施中。(図2)
3)地震情報直前検知システムのための地震観測 7)[自社研究]:下田・伊東・真鶴・葉山・赤坂に地震計を設置し、地震の発生、地震規模、東京での震度などを、揺れ始める前に伝達するシステムを開発・実証した。(図3)
上記1)、2)および他の観測記録の一部は、(財)震災予防協会あるいは(社)日本建築学会を通じて公開されている。
強震観測全般については、強震計の性能から、観測の運営、更にデータベースの作成・その利用上のモラルまで、過去に多くの指摘がなされている。8,9など)ここでは、民間での強震観測について、企業で実施することの問題点、強震観測の置かれている研究的立場の問題点、これらと一部重複するが観測遂行上のいくつかの問題点を以下に述べる。
(1)強震観測と企業論理:強震観測は地震工学の発展に不可欠であるとの言に異論を唱える人は皆無であろう。では、それを民間で行うことが妥当であるとの言に企業としてどれほどの賛同が得られるであろうか。余りに基礎(基盤)的な研究分野ゆえに、費用対効果を優先する企業論理とは相容れない側面を本質的に有している。まして、社会貢献を根拠にしたデータ公開は、企業内で十分な説得力を持ち得ない。強震観測は、設置にかかる初期投資が大きいばかりでなく、欠測を回避するための維持・管理に要する定常的な費用や担当者の負担もまた大きい。これを実施に漕ぎつけるには、新技術の検証などの大義名分がある場合は別にして、研究担当者に熱意があり、建築主や建設会社など企業側も理解が深いという場合に限られる。このことが実施例を少なくさせ、公開データを更に少なくさせている大きな理由であろう。
(2)研究的評価の低さ:震災予防協会における観測記録の収集等に対する表彰制度(震災予防協会賞)などにより一部では強震観測の重要性が評価されているが、観測という最も基盤的な仕事がこれを利用して成り立つ理論解析に対して一般に低く評価されている傾向は否めない。これは一に強震観測のみならず、多くの研究分野で見られる傾向と思われ、いわゆる縁の下の力持ちが報いられる方策・制度が必要とされる。
(3)設置・保守の費用負担:強震計は種々の周辺技術の高度化によるコストダウンや普及の拡大などと相俟って廉価になって来たが、まだまだ高価である。また、地震を待つという性格上長期観測とならざるを得ないため、長期間の保守が必要となる。最近、メンテナンスフリーを謳った強震計も出ているが、古い型式の強震計になるほど保守点検に時間も費用も多くかかる傾向にある。
(4)観測体制の維持:一般に観測開始当初や特定の研究など観測目的が明確な場合は観測体制の維持は比較的容易であるが、時間の経過に伴い、あるいは観測目的が希薄になる場合などもあり、長期に亘って観測体制を維持するのは難しい。これは、保安用の地震観測の場合を除いて、民間で観測専門の部署や担当者を継続して置くことはほとんどないためであろう。
(5)データ処理:強震観測の初期の記録媒体は記録紙であった。その後、フィルム、アナログテープ、デジタルテープ、ICメモリーなどと変化してきた。アナログテープでもオープンリールとカセットがあり、記録媒体の種類は多い。長期間かつ多くの観測を行っている場合、これら多くの記録媒体全てに対応すべく処理機器を配備しておくことはかなりの負担と困難を伴う。
民間での強震観測について、その問題点を最後に述べた。しかし、最も大きな問題点は、わが国全体として強震観測の重要性の認識が深くなかったことが挙げられる。兵庫県南部地震を契機として、K-netやKik-netが国家の事業として実施されたことは評価されるべきである。このデータ利用による国家的利益は、地震学、地震工学、耐震工学、防災など多方面での貢献に及び、計り知れないものになる筈である。この場合は地盤での観測であるが、建物での観測データは、建物の強震時挙動の解明、建物の損傷評価手法、更に健全性評価手法の確立などのための基礎データとして活用され、耐震設計への反映が期待される。また、建築計画、地域計画、防災など多くの分野での貢献が考えられる。これらは、人命、経済など多くの面で公共の利益に大きく貢献するものである。建物を対象にした公的機関による強震観測事業の立ち上げが望まれる所以である。建物の場合、観測や公開に対する共通認識を得るなど解決すべき問題は更に多いと考えられるので、まず広く議論することから始めるべきであろう。
1)佐藤吉之:公的機関を中心とした強震観測の現状,第2回強震データの活用に関するシンポジウム(2000)-建物の耐震性能設計を目指した強震観測-,日本建築学会構造委員会振動運営委員会強震観測小委員会,pp.3-10,2000.12.01
2)田中貞二:日本における強震計の開発と初期の強震観測,強震データの活用に関するシンポジウム -強震データベースの現状と共同利用の試み-,日本建築学会地震災害委員会強震観測委員会強震データ小委員会,pp.39-48,1995.4.12
3)工藤一嘉:強震動予測を中心とした地震工学研究のあゆみ -総合報告:強震動地震学・地震工学シリーズの序にかえて-,地震第2輯第46巻第2号,pp.151-159,1993
4)太田外気晴,足立憲彦,安藤治彦,越田洋,稗圃成人:テレメーター機能を持つ高精度強震観測システムの開発,鹿島建設技術研究所年報,第28号,pp.21-28
5)表俊一郎,大村文,飯塚節夫,太田外氣晴,高橋克也:鉛直アレー地震観測による地震動特性の研究,第7回日本地震工学シンポジウム,81,pp.481-486,1986.12
6)丹羽正徳,大保直人,鈴木康嗣,野澤貴:東京湾臨海部の地震動特性に関する研究,その1 1990.2.20伊豆大島,近海地震の記録にみられるやや長周期地震動について,日本建築学会大会(中国),pp.347-348,1990.10
7)宮村正光,諸井孝文,高橋克也:「地震情報の直前検知・伝達システム」の開発,地震被害低減を目指す新しいコンセプト,日経サイエンス,Vol.23,No.12,pp.6-10,1993.12
8)鹿嶋俊英,長屋雅文:米国における強震観測とデータベース,強震データの活用に関するシンポジウム -強震データベースの現状と共同利用の試み-,日本建築学会地震災害委員会強震観測委員会強震データ小委員会,pp.19-24,1995.4.12
9)渡壁守正,佐間野隆憲,高橋克也:強震動データベースに望まれる姿,第2回強震データの活用に関するシンポジウム(2000)-建物の耐震性能設計を目指した強震観測-,日本建築学会構造委員会振動運営委員会 強震観測小委員会,pp.27-34,2000.12.01