(『日本地震学会ニュースレター』1996年Vol.8 No.4 掲載)
本委員会では、予定どおり8月20・21日に、1泊2日の第1回ミーティングを、東京大学地震研究所で持つことができました。内容の詳細については、この集まりに参加して下さったお二人の先生のご報告に譲りますが、準備不足にも関わらず、石田会長はじめ、大学・研究機関・マスコミ等から様々な立場でご参加下さった皆さんの、熱意溢れるご協力により、予想以上に中身の濃い、実りあるミーティングとなりました。
委員会の性格上、当面は学校教員を対象として活動していくことが多くなりますが、開かれたネットワークを目指していますので、次回ミーティングには、より広い分野からの会員諸氏のご参加・ご提言を、期待いたします。
参加者は全国の地震学会会員の小・中・高校教員と大学・民間・マスコミなどの、合計30数名。学会からは石田会長、山下副会長などが参加されました。
まず自己紹介から始まり、国語、音楽、建築、印刷など理科以外の教科の方が結構いらしたことが印象的でした。
次いで、学校科目「地学」関連学会連絡協議会に関する報告があり、地震学会からは山野誠(東京大学地震研究所)、桑原央治(東京都立上野高校)、武尾実(東大震研)の3名が委員として参加していること。また学会としては教材ビデオを制作したことが報告されました。
その後、所内見学、6階の微小地震観測網と震源決定の部屋では、デジタル化された地震の記録が1週間でCD-ROM1枚分になると聞いて驚いたり、3階の火山観測室では三原山、霧島などの状況を鍵山先生から聞き、地域に根差した地震火山の教材がないとの指摘をうけました。地下の地震計室では、大森式から電磁式に移るまでのさまざまな地震計を見ることができました。時間がたらずゆっくり見学できなかったことが残念でした。
地震学会制作の「地震はなぜ起きる」のビデオを、制作に骨を折られた菊地・久家先生を交えて試写し、実際に学校現場で使う場合の要望を出しました。ここで兵庫県南部地震でのコンビニの防犯カメラの映像が、生徒に地震を追体験させるのに良いという提案がありました。
こうして1日目の予定を終了後、場所を本郷会館に移して懇親会。東大地震研の深尾 所長、ゲラーさんのご参加もあり、1次会では足らず、2次会3次会と夜遅くまで、地震と教育について話がはずみました。
断層破壊が生じる際の、隣の断層の存在によって力線密度が変化し、破壊が生じたり生じなかったりする。また次の破壊が生じるまでの時間間隔が揺らぐという、大変興味深いお話しでした。また断層内での水の動きと地震に関しても提案がありました。
会の名称についていろいろ意見がでましたが、参加者の興味関心がさまざまなので、とりあえずは現在の名称のままで行くことに決まりました。次回は来年3月の合同学会の際に開かれます。「学校」とついていますが教員だけでなく、研究者や地震(防災)教育に関心のある方の幅広い参加を求めていきます。
場所を変え、東京都1号庁舎9階の防災センターを見学しました。兵庫県にもこんな設備があり震災対策をしていれば、もう少し犠牲者の数を減らせたのではないかと思いました。ただ、東京都の防災対策が震度6(一部の地域で震度7)に対応していると聞き、震度7の広大な地域ができたときには不十分だと感じました。
普段はなかなか交流する機会のない、地球物理系の教師がこうして集まりました。数こそ少ないものの皆さんが熱心に指導・研究されているのを知って、自分も頑張うと思sう2日間でした。
なおNiftyserveのFKYOIKUS理科の部屋、FSCI地球科学会議室にこの会のメンバーが参加しています。授業に役立つ話題がたくさん議論されているので、是非覗いてみてください。
分からないことは多いけれど、おもしろい集まり。これが今回の印象です。「賢い若者を!」これが結論です。
集まりの中で、参加者から「学校における理科教育の衰退状況」の発言が多かったのが、印象的でした。もし私がこのような集まりに参加して来なければ、音楽科教員の私も理科の授業は最小限でいいと思い続けていたでしょう。しかも、「学校教育…」の呼びかけが初めての出会いであったら、その文字に拒否反応をして参加はしなかったと思います。たまたま、大島噴火に遭遇された方に出会い、地震、火山に関する集まりに顔を出したことがあり、偏見が少なくなっていた為に、気軽に参加できたと思います。
東京工業大の若き女性司会者が自らの参加したいきさつを述べ涙ぐまれた時、来てよかったと思いました。大震災の後神戸に行き、避難所での学校の先生方の献身的な姿を目の当たりにしてから、自分も教師になろうと挑戦している姿が新鮮でした。
報告者の内容は学校関係以外の専門家の報告など、多方面にわたっており、しかも15分程度の報告なので聞き易く、飽きることがなく、門外漢の私は助かりました。特に、阪神大震災で被害に遭われた数越先生の、膨大な資料を用意されての報告は、悲しみを抑え淡々と語られるだけに頭が下がりました。昼食時に被害のことをお聞きして、その上でのこの集まりに対するエネルギーに改めて驚きました。関西の先生方には、関東にはないパワーとユーモラスさを感じさせられました。
東大地震研究所の見学や、地震計室ではみなさん本当に興味津々で、東京以外ではなかなか触れることがないのだということもよく分かりました。知っている人が詳しい説明をかってでた知識交流の場面では、充実感が有りました。そして、何でも揃っていることが当たり前になっている東京の人間の欠陥を、自らも含めて知りました。都庁の防災センターの見学では「こんな立派なモノが有っても、機能するのだろうか?」と不安を感じました。
その不安についてずっと考えてきたのです。なぜ不安を感じたのだろうか?たまたまテレビで外国のレスキュー隊の番組を見ていました。危機に直面したときの人間の判断力がなにに裏打ちされているかと考えていた時に、キャスターが「危機を救ったのは、助けたいという強い気持ち、意志力だ!」と叫んだのです。
問題はここにあるとはっきり分かりました。意志があっても、方法が分からなかったらどうしようもないではないか!
地震はすごいテーマを私たちに示唆しています。地球というとてつもないモノの上に私たちは生きている。いったい地球とはなに?こう自分に問いかけてみたら、なんと新鮮で面白いことかと、この年になって実はワクワクしているのです。今までは全く興味がなかったせいで、逆に、生徒にこのワクワクをぶつけることができるのも、特権です。
小心者で、状況判断ができない、感情的な自分が、危機的状況に直面したらどんな人間になるのだろうかということを深く考えるきっかけも、地震でした。まして、毎日800人近い生徒と暮らしてるのですから、自分の役割を考えざるを得ません。
理科教育は一部分のことではなく、なんと広大な裾野を持っていることでしょうか?芸術の分野からみても、学問を追究する姿勢の中に創造性が感じられるのです。しかも、参加された方々が、マスコミ関係の震災報道のような感情面に流されず、事実に向き合う姿勢は科学特有の冷徹さがあり、科学部門の厳しさを強く感じた2日間でした。
1日目の夜の交流会に参加できなかった私に「どなたでも自由に参加してよい場ですから」と石田会長は気軽に声をかけて下さいました。来年は必ず参加します!
最後に、若者を賢くしたい、そのことを痛切に思いました。優しさとか、思いやりとか曖昧なことではなく…