20世紀後半(1951-)Publications

番号 372
西暦 1952/ 3/ 4
和暦 (昭和 27)
震央・M N41.8° E144.1° M8.2
記事 十勝沖:『十勝沖地震』:北海道南部・東北北部に被害があり、津波が関東地方に及ぶ。波高は北海道で3m前後、三陸沿岸で1~2m。死28、不明5、家屋全壊815、半壊1324、流失91。[2]

▲このページの先頭に戻る

番号 373
西暦 1952/ 3/ 7
和暦 (昭和 27)
震央・M N36.5° E136.2° M6.5
記事 石川県西部沖:『大聖寺沖地震』:福井・石川両県で死7、家屋半壊4など。山崩れや道路の亀裂などもあった。

▲このページの先頭に戻る

番号 374
西暦 1952/ 7/ 18
和暦 (昭和 27)
震央・M N34.5° E135.8° M6.8
記事 奈良県中部:『吉野地震』:震源の深さ60km。和歌山・愛知・岐阜・石川各県にも小被害があった。死9、住家全壊20。春日大社の石灯篭1600のうち650倒壊。

▲このページの先頭に戻る

番号 903
西暦 1952/ 11/ 5
和暦 (昭和 27)
震央・M N52.6° E160.3° Ms 8.2 Mw 9.0
記事 カムチャツカ半島沖:太平洋沿岸に津波、波高は1~3m程度。広範囲で家屋の浸水があり、三陸沿岸では漁業関係の被害があった。[3]

▲このページの先頭に戻る

番号 375
西暦 1953/ 11/ 26
和暦 (昭和 28)
震央・M N34.0° E141.7° M7.4
記事 房総半島沖:『房総沖地震』:伊豆諸島で道路亀裂、八丈島で鉄管亀裂など。関東沿岸に小津波、銚子付近で最大2~3m。[1]

▲このページの先頭に戻る

番号 376
西暦 1955/ 7/ 27
和暦 (昭和 30)
震央・M N33.7° E134.3° M6.4
記事 徳島県南部:死1、傷8。山崩れ多く、道路の破損・亀裂、トンネル崩壊などの小被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 377
西暦 1955/ 10/ 19
和暦 (昭和 30)
震央・M N40.3° E140.2° M5.9
記事 秋田県米代川下流:『二ツ井地震』:被害は二ツ井町・響村に限られ、傷4、住家半壊3、非住家全半壊311など。

▲このページの先頭に戻る

番号 378
西暦 1956/ 3/ 6
和暦 (昭和 31)
震央・M N44.3° E144.1° M6.3
記事 網走沖:オホーツク海の地震。小被害、小津波があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 379
西暦 1956/ 9/ 30
和暦 (昭和 31)
震央・M N38.0° E140.6° M6.0
記事 宮城県南部:白石付近で死1、非住家倒壊3、その他小被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 380
西暦 1956/ 9/ 30
和暦 (昭和 31)
震央・M N35.7° E140.1° M6.3
記事 千葉県中部:東京で傷4、建物・配電線に小被害があり、半壊2。

▲このページの先頭に戻る

番号 381
西暦 1957/ 11/ 11
和暦 (昭和 32)
震央・M N34.2° E139.3° M6.0
記事 新島近海:新島・式根島で石造家屋に被害があった。6日頃より前震。

▲このページの先頭に戻る

番号 382
西暦 1958/ 11/ 7
和暦 (昭和 33)
震央・M N44.3° E148.5° M8.1
記事 エトロフ島沖:釧路地方で電信線・鉄道・道路に小被害があった。太平洋岸各地に津波があり、小被害。[1]

▲このページの先頭に戻る

番号 383
西暦 1959/ 1/ 31
和暦 (昭和 34)
震央・M (05h 38m) N43.3° E144.6° M6.3
(07h 16m) N43.4° E144.5° M6.1
記事 弟子屈付近:後のもので被害が生じた。弟子屈町・阿寒町・阿寒湖畔で被害が多く、煙突の倒壊・破損が多かった。

▲このページの先頭に戻る

番号 384
西暦 1960/ 3/ 21
和暦 (昭和 35)
震央・M N39.8° E143.4° M7.2
記事 三陸沖:岩手・青森・山形の3県で小被害。津波があった。[0]

▲このページの先頭に戻る

番号 904
西暦 1960/ 5/ 23
和暦 (昭和 35)
震央・M S38.2° W72.6° Ms 8.5 Mw 9.5
記事 チリ沖:『チリ地震津波』:24日2時頃から津波が日本各地に襲来、波高は三陸沿岸で5~6m、その他で3~4m。北海道南岸・三陸沿岸・志摩半島付近で被害が大きく、沖縄でも被害があった。日本全体で死・不明142(うち沖縄で3)、家屋全壊1500余、半壊2千余。[4]

▲このページの先頭に戻る

番号 385
西暦 1961/ 2/ 2
和暦 (昭和 36)
震央・M N37.5° E138.8° M5.2
記事 長岡付近:典型的な局地地震で、被害は直径2kmの範囲に集中した。死5、住家全壊220、半壊465。

▲このページの先頭に戻る

番号 386
西暦 1961/ 2/ 27
和暦 (昭和 36)
震央・M N31.6° E131.9° M7.0
記事 日向灘:宮崎・鹿児島両県で死2、家屋全壊3。九州から中部の沿岸に津波、波高は最高50cm。[0]

▲このページの先頭に戻る

番号 387
西暦 1961/ 8/ 12
和暦 (昭和 36)
震央・M N42.9° E145.6° M7.2
記事 釧路沖:釧路付近で家屋の一部破損11、その他小被害。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 388
西暦 1961/ 8/ 19
和暦 (昭和 36)
震央・M N36.0° E136.8° M7.0
記事 岐阜県北部:『北美濃地震』:福井・岐阜・石川3県に被害があった。死8、家屋全壊12、道路損壊120、山崩れ99。

▲このページの先頭に戻る

番号 389
西暦 1962/ 4/ 23
和暦 (昭和 37)
震央・M N42.2° E143.9° M7.0
記事 広尾沖:十勝川流域・釧路方面に被害が多かった。建物半壊2、その他の小被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 390
西暦 1962/ 4/ 30
和暦 (昭和 37)
震央・M N38.7° E141.1° M6.5
記事 宮城県北部:『宮城県北部地震』:瀬峯付近を中心とする径40kmの範囲に被害が集中した。死3、住家全壊340、半壊1114。橋梁・道路・鉄道の被害が多かった。

▲このページの先頭に戻る

番号 391
西暦 1962/ 8/ 26
和暦 (昭和 37)
震央・M N34.1° E139.5° M5.9
記事 三宅島:8月24日に三宅島噴火、これに伴い地震があり、住家破損141。翌年8月まで続いた。

▲このページの先頭に戻る

番号 392
西暦 1963/ 3/ 27
和暦 (昭和 38)
震央・M N35.8° E135.8° M6.9
記事 福井県沖:『越前岬沖地震』:敦賀・小浜間に小被害があった。住家全半壊6など。

▲このページの先頭に戻る

番号 393
西暦 1963/ 10/ 13
和暦 (昭和 38)
震央・M N43.8° E150.0° M8.1
記事 エトロフ島沖:津波があり、三陸沿岸で軽微な被害。花咲で1.2m、八戸で1.3m など。[2]

▲このページの先頭に戻る

番号 394
西暦 1964/ 5/ 7
和暦 (昭和 39)
震央・M N40.3° E139.0° M6.9
記事 男鹿半島沖:青森・秋田・山形3県に民家全壊3などの被害があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 395
西暦 1964/ 6/ 16
和暦 (昭和 39)
震央・M N38.4° E139.2° M7.5
記事 新潟県沖:『新潟地震』:新潟・秋田・山形の各県を中心に被害があり、死26、家屋全壊1960、半壊6640、浸水15298、その他船舶・道路の被害も多かった。新潟市内の各所で噴砂水がみられ、地盤の流動化による被害が著しかった。津波が日本海沿岸一帯を襲い、波高は新潟県沿岸で4m以上に達した。粟島が約1m隆起した。[2]

▲このページの先頭に戻る

番号 396
西暦 1965/ 4/ 20
和暦 (昭和 40)
震央・M N34.9° E138.3° M6.1
記事 静岡付近:死2、傷4、住家一部破損9。清水平野北部で被害が大きかった。

▲このページの先頭に戻る

番号 397
西暦 1965/ 8/ 3
和暦 (昭和 40)
記事 松代付近:『松代群発地震』:この日に松代皆神山付近に始まり、少しずつ活動域を広げていった。ほとんど終息した1970年末までに松代で有感地震62821回、うち震度5、4はそれぞれ9回、50回だった。被害を伴った地震は51回、全体で傷15、住家全壊10、半壊4、山崖崩れ60。最も規模の大きかった地震はM5.4 で、総エネルギーは、M6.4 の地震1個に相当する。この間に皆神山が1m隆起した。

▲このページの先頭に戻る

番号 398
西暦 1967/ 4/ 6
和暦 (昭和 42)
震央・M N34.2° E139.2° M5.3
記事 神津島近海:神津島で傷3、式根島で住家全壊7、半壊9。

▲このページの先頭に戻る

番号 399
西暦 1968/ 2/ 21
和暦 (昭和 43)
震央・M N32.0° E130.7° M6.1
記事 霧島山北麓:『えびの地震』:2時間ほど前にM5.7 の前震、翌日にもM5.6 の余震があった。死3、傷42、建物全壊368、半壊636。山崩れが多かった。3月25日にもM5.7 とM5.4 の地震があり、建物全壊18、半壊147。

▲このページの先頭に戻る

番号 400
西暦 1968/ 4/ 1
和暦 (昭和 43)
震央・M N32.3° E132.5° M7.5
記事 日向灘:『1968年日向灘地震』:高知・愛媛で被害多く、傷15、住家全壊1、半壊2、道路損壊18など。小津波があった。[1]

▲このページの先頭に戻る

番号 401
西暦 1968/ 5/ 16
和暦 (昭和 43)
震央・M N40.7° E143.6° M7.9
記事 青森県東方沖:『1968年十勝沖地震』:青森を中心に北海道南部・東北地方に被害。死52、傷330、建物全壊673、半壊3004。青森県下で道路損壊が多かった。津波があり、三陸沿岸3~5m、襟裳岬3m、浸水529、船舶流失沈没127。コンクリート造建築の被害が目だった。[2]

▲このページの先頭に戻る

番号 402
西暦 1968/ 7/ 1
和暦 (昭和 43)
震央・M N36.0° E139.4° M6.1
記事 埼玉県中部:東京などで傷7、家屋破損15。

▲このページの先頭に戻る

番号 403
西暦 1968/ 8/ 6
和暦 (昭和 43)
震央・M N33.3° E132.4° M6.6
記事 愛媛県西方沖:愛媛を中心に被害があり、傷22、建物破損7。道路の損壊や山崩れも多かった。

▲このページの先頭に戻る

番号 404
西暦 1968/ 9/ 21
和暦 (昭和 43)
震央・M N36.8° E138.3° M5.3
記事 長野県北部:県北で傷2、住家一部破損224などの被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 405
西暦 1969/ 9/ 9
和暦 (昭和 44)
震央・M N35.8° E137.1° M6.6
記事 岐阜県中部:死1、傷10、住家一部破損86。崖崩れが多かった。

▲このページの先頭に戻る

番号 406
西暦 1970/ 1/ 1
和暦 (昭和 45)
震央・M N28.4° E129.2° M6.1
記事 奄美大島近海:傷9、住家一部破損1462、その他小被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 407
西暦 1970/ 1/ 21
和暦 (昭和 45)
震央・M N42.4° E143.1° M6.7
記事 北海道南部:傷32、建物全壊2、半壊7、一部破損139などの被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 408
西暦 1970/ 7/ 26
和暦 (昭和 45)
震央・M N32.1° E132.0° M6.7
記事 日向灘:傷13、山崖崩れ4。小津波があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 409
西暦 1970/ 10/ 16
和暦 (昭和 45)
震央・M N39.2° E140.8° M6.2
記事 秋田県南東部:傷6、建物半壊20、一部破損446、全焼1、山崖崩れ19などの被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 410
西暦 1971/ 2/ 26
和暦 (昭和 46)
震央・M N37.1° E138.4° M5.5
記事 新潟県南部:傷13。雪崩数カ所に起きる。小規模な地割れや崖崩れがあった。

▲このページの先頭に戻る

番号 411
西暦 1972/ 2/ 29
和暦 (昭和 47)
震央・M N33.2° E141.3° M7.1
記事 八丈島近海:八丈島で落石・土砂崩れ・亀裂などの道路の被害115ヶ所。水道管破裂による断水2130世帯。小津波があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 412
西暦 1972/ 12/ 4
和暦 (昭和 47)
震央・M N33.2° E141.1° M7.2
記事 八丈島近海:『1972年12月4日八丈島東方沖地震』:八丈島と青ヶ島で落石・土砂崩れ・道路破損などの被害。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 413
西暦 1973/ 6/ 17
和暦 (昭和 48)
震央・M N43.0° E146.0° M7.4
記事 根室半島南東沖:『1973年6月17日根室半島沖地震』:根室・釧路地方に被害。全体で傷26、家屋全壊2、一部破損1。小津波があり、波高は花咲で2.8m、 浸水275、船舶流失沈没10。[1]また、6月24日の余震(M7.1) で傷1、家屋一部破損2。小津波があった。[0]

▲このページの先頭に戻る

番号 414
西暦 1974/ 5/ 9
和暦 (昭和 49)
震央・M N34.6° E138.8° M6.9
記事 伊豆半島南端:『1974年伊豆半島沖地震』:伊豆半島南端に被害。死30、傷102、家屋全壊134、半壊240、全焼5。御前崎などに小津波。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 415
西暦 1975/ 1/ 23
和暦 (昭和 50)
震央・M N33.0° E131.1° M6.1
記事 阿蘇山北縁:外輪山内にある一の宮町三野地区に被害が集中した。熊本県で傷10、家屋全壊16、半壊17、道路損壊12、山崩れ15。

▲このページの先頭に戻る

番号 416
西暦 1975/ 4/ 21
和暦 (昭和 50)
震央・M N33.1° E131.3° M6.4
記事 大分県中部:傷22、住家全壊58、半壊93、道路被害182など。

▲このページの先頭に戻る

番号 417
西暦 1976/ 6/ 16
和暦 (昭和 51)
震央・M N35.5° E139.0° M5.5
記事 山梨県東部:山梨・神奈川・東京で建物一部破損69、道路損壊12、山崖崩れ6。

▲このページの先頭に戻る

番号 418
西暦 1978/ 1/ 14
和暦 (昭和 53)
震央・M N34.8° E139.3° M7.0
記事 伊豆大島近海:『1978年伊豆大島近海地震』:死25、傷211、家屋全壊96、半壊616、道路損壊1141、崖崩れ191。前震が活発で、当日午前、気象庁から地震情報が出されていた。伊豆半島で被害が大きく、翌15日の最大余震(M5.8) でも伊豆半島西部にかなりの被害が出た。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 419
西暦 1978/ 6/ 4
和暦 (昭和 53)
震央・M N35.1° E132.7° M6.1
記事 島根県中部:島根県で住家半壊4、一部破損140、道路損壊48。

▲このページの先頭に戻る

番号 420
西暦 1978/ 6/ 12
和暦 (昭和 53)
震央・M N38.2° E142.2° M7.4
記事 宮城県沖:『1978年宮城県沖地震』:被害は宮城県に多く、全体で死28、傷1325、住家全壊1183、半壊5574、道路損壊888、山崖崩れ529。新興開発地に被害が集中した。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 421
西暦 1980/ 6/ 29
和暦 (昭和 55)
震央・M N34.9° E139.2° M6.7
記事 伊豆半島東方沖:伊豆半島で家屋全壊1、一部破損17、傷7などの被害。神奈川でも傷1などの被害があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 422
西暦 1982/ 3/ 21
和暦 (昭和 57)
震央・M N42.1° E142.6° M7.1
記事 浦河沖:『昭和57年浦河沖地震』:被害は浦河・静内に集中したが、札幌などでも微小被害が報告されている。傷167、建物全壊9、半壊16、一部破損174、鉄軌道被害45。小津波があった。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 423
西暦 1983/ 5/ 26
和暦 (昭和 58)
震央・M N40.4° E139.1° M7.7
記事 秋田県沖:『昭和58年日本海中部地震』:被害は秋田県で最も多く、青森・北海道がこれに次ぐ。日本全体で死104(うち津波によるもの100)、傷163(同104)、建物全壊934、半壊2115、流失52、一部破損3258、船沈没255、流失451、破損1187。津波は早い所では津波警報発令以前に沿岸に到達した。石川・京都・島根など遠方の府県にも津波による被害が発生した。[2~3]

▲このページの先頭に戻る

番号 424
西暦 1983/ 8/ 8
和暦 (昭和 58)
震央・M N35.5° E139.0° M6.0
記事 神奈川・山梨県境:丹沢山地で落石があり、死1、傷8。山梨・神奈川・東京・静岡の各県で傷合計33、家屋全半壊2。

▲このページの先頭に戻る

番号 425
西暦 1984/ 8/ 7
和暦 (昭和 59)
震央・M N32.4° E132.2° M7.1
記事 日向灘:宮崎・大分・熊本の各県で被害、傷9、建物一部破損319など。弱い津波があり、延岡で18cmを記録した。[-1]

▲このページの先頭に戻る

番号 426
西暦 1984/ 9/ 14
和暦 (昭和 59)
震央・M N35.8° E137.6° M6.8
記事 長野県西部:『昭和59年長野県西部地震』:王滝村に大きな被害をもたらした。死29、傷10、建物全壊・流出14、半壊73、一部破損565、道路損壊258など。死者及び建物流出は主として王滝川・濁川の流域などに発生した大規模な崖崩れと土石流によるものである。

▲このページの先頭に戻る

番号 427
西暦 1987/ 3/ 18
和暦 (昭和 62)
震央・M N32.0° E132.1° M6.6
記事 日向灘:死1、傷若干のほか、建物・道路などに被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 428
西暦 1987/ 12/ 17
和暦 (昭和 62)
震央・M N35.4° E140.5° M6.7
記事 千葉県東方沖:千葉県を中心に被害があり、死2、傷138。建物全壊10、一部破損6万余のほか、道路などにもかなりの被害があった。

▲このページの先頭に戻る

番号 429
西暦 1993/ 1/ 15
和暦 (平成 5)
震央・M N42.9° E144.4° M7.8
記事 釧路沖:『平成5年釧路沖地震』:わが国では11年ぶりの震度6を釧路で記録、死2、傷967、建物や道路の被害もあった。北海道の下に沈み込む太平洋プレートの内部で発生した深さ約100kmの地震で、この型の地震としては例外的に規模が大きかった。

▲このページの先頭に戻る

番号 430
西暦 1993/ 7/ 12
和暦 (平成 5)
震央・M N42.8° E139.2° M7.8
記事 北海道南西沖:『平成5年北海道南西沖地震』:地震に加えて津波による被害が大きく、死202、不明28、傷323。特に地震後間もなく津波に襲われた奥尻島の被害は甚大で、島南端の青苗地区は火災もあって壊滅状態、夜10時すぎの闇のなかで多くの人命、家屋等が失われた。津波の高さは青苗の市街地で10mを越えたところがある。[3]

▲このページの先頭に戻る

番号 431
西暦 1994/ 10/ 4
和暦 (平成 6)
震央・M N43.4° E147.7° M8.1
記事 『平成6年北海道東方沖地震』:北海道東部を中心に被害があり、傷437、住家全半壊409。津波は花咲で173cm。震源に近い択捉島では死・不明10など、地震と津波で大きな被害。[2]

▲このページの先頭に戻る

番号 432
西暦 1994/ 12/ 28
和暦 (平成 6)
震央・M N40.5° E143.7° M7.5
記事 『平成6年三陸はるか沖地震』:震度6の八戸を中心に被害、死3、傷788、住家全半壊501。道路や港湾の被害もあった。弱い津波があった。


ページ最上部へ